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天才バイオリニスト・五嶋みどり。枚方で過ごした幼少期、テストは100点!

      2016/09/10

世界的バイオリニスト、五嶋みどりさん。「音」に極限までこだわった彼女の音楽は、彼女の人生そのもの。聴いている人の魂が揺さぶられ、自然に涙があふれてくるほど、鬼気迫る音です。

2016年9月、京都コンサートホールで、五嶋みどりさんと京都市交響楽団との共演が実現します!しかも、チャイコフスキー:バイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35!!

五嶋みどりってどれだけ凄いの?

おそらく、彼女のバイオリン演奏の技術と音楽性が世界のトップレベルであることに、疑いの目を向ける人はいないでしょう。
 

さらに、音楽に対するストイックなまでの情熱もトップレベル。日本人で有名なバイオリニストはたくさんおられますが、五嶋みどりはちょっと別格なのではないでしょうか。
 

世界中の有名指揮者やオーケストラからの共演オファーが絶えることがなく、常に世界中から高い評価を得続けている五嶋みどり。
 

自分の中にある音や音楽の本質を追い求め、世界的なプロフェッショナルでありながらも、常に初心者のようにひたむきに練習し続けるその姿に、音楽界からだけでなく様々な世界にも畏敬の念を抱いている方も多いことでしょう。
 

五嶋みどりの幼少期

五嶋みどりが2歳の時。バイオリニストであった母が練習していた曲を正確に口ずさんでいたことから絶対音感を見出され、ピアノのレッスンが始まります。
 

しかしピアノは3ヶ月程で挫折してしまいます。
 

その後母方の祖母が、3歳の誕生日プレゼントに1/16サイズのバイオリンをプレゼントしました。
 

それから、母である五嶋節さんが指導を始め、英才教育が始まったのです。有名な話ですね。
 

1/16サイズのバイオリンなんて、お店で見るくらいで、実際に手に取ったことはありませんが、おもちゃですよ、おもちゃ!
 

3歳の子供の指が弦を押さえて引くのですから当然ですが、ものすごく小さいです。

とくに、五嶋みどりは同級生の中でも決して大きい方とはいえず、その姿は本当に可愛らしかったことでしょう。

大阪・枚方のバイオリン教室に

私には、かれこれもうウン十年来の友達A君がいます。
実はこのA君、幼少期に五嶋みどりの母である五嶋節先生にバイオリンを習っていたのです。羨ましい。
 

当時、大阪府の枚方市にある、京阪沿線の「牧野」という小さな街で、まだ幼稚園だったA君は、小さなバイオリン教室にて五嶋先生のレッスンを受けはじめました。
 

ある日、A君のお母さんが、五嶋先生にこういいます。
 

「私、クライバーンの演奏が好きなんです」
 

そうしたら、五嶋先生も
 

「私もクライバーン好きなんですよ!」といって下さり、会話が盛り上がったとのこと。
そのことがとても嬉しかったと教えてくれました。
 

そして五嶋先生にくっついて、時々牧野の教室についてきていた女の子、それが五嶋みどりでした。

幼少期の五嶋みどりは、無口でおとなしい少女。テストは100点!

特別おどろくようなことではありませんが、幼少期の五嶋みどりについて、「無口でおとなしい子だな、という印象だった」とA君のお母さんはいいます。
 

お母さんの五嶋節先生は、サバサバしたキャラクターで、「シャキシャキとした人だった」ので、その親子の違いが印象的だったそうです。
 

牧野のバイオリン教室のあと、ほどなくして、五嶋先生は枚方市・楠葉のご自宅でバイオリン教室を開かれました。
そして、A君も五嶋先生のご自宅に通うことになりました。
 

A君の記憶によると、五嶋先生のお家は大きくて、門扉から石造りの階段を左に上がっていく、和風なおうちでした。
 

あるレッスンの日のことです。A君とお母さんが、レッスンのために五嶋先生の自宅を訪れました。そしたら、玄関に赤いランドセルが置きっぱなしになっていたのです。
 

そのランドセルの周りには、「ごとうみどり」と名前の書かれたテストが散らばっていて、そのすべてが100点。
 

よくよく考えたら、渡米前のお話ですから小学校低学年。100点は驚くほどのことでもないのかもしれませんが、A君のお母さんは「すごい!全部100点なんだ!!」と驚き、またまた印象に強く残ったそうです。
だからこそ、何十年も忘れられなかったんですね。
 

当時、結構度のきついメガネをかけていて、おかっぱ頭。おとなしいけれど、とても賢そうだったという「みどりちゃん」。やっぱりお勉強もしっかり頑張っていたんですね。
 

渡米前の発表会の記憶

A君が、五嶋先生のバイオリン教室発表会だったか、演奏会だったか・・に参加した時のことです。
 

A君のお母さんはいいます。

 

「確か、発表会の出演者の中にみどりちゃんも入っていました。一回り小さく見えるみどりちゃんが、まだ小さい、バイオリンをもって入場して、さて弾き出したと思ったら、会場全体が息を呑んだ。その後ため息で包まれた。
 

パガニーニだったか何だったか、曲ははっきり覚えていないけれど、とんでもない曲を弾き出して。こんな曲を、こんな小さな子が弾けるなんて!と、もうびっくりしてしまって。
 

何が起こったのかよくわからなかったけれど、とにかく、これはとんでもないことだと思ったものよ」
 

その後、五嶋みどりはジュリアード音楽院のドロシー・ディレイ教授に送ったカセットテープが認められ、入学オーディションに招かれました。
 

1982年、みどりは母とともに渡米、ディレイ教授につくこととなり、A君のレッスンも終了となりました。
 

(残念・・・。)
 

その後、A君と彼のお母さんが再び五嶋みどりを見かけたのは、「天才少女デビュー」という、新聞の見出しでした。
 

「すごいよ、ほら!!みどりちゃんが新聞に載ってる!!」
 

まだインターネットのない時代。何度も新聞を読み返したそうです。
 

そもそも、五嶋みどりはどうしてアメリカへ渡ったのでしょう。
 

五嶋節先生や五嶋みどり、龍姉弟について書かれた著書の中で、そのことが触れてありました。
 

鷲見三郎や東儀祐二といったバイオリン指導者が、
 

「せっかくの才能をだめにしてしまうことのないよう、外国へ渡った方がいい」
 

「みどりには、これまでの考え方では評価しきれない何かがある、日本のコンクールからははみ出してしまう」
 

といわれたことも影響した、と記されています。
 

日本のバイオリンの時代がまだ、彼女についていってなかったのかも知れません。
 

渡米後、大変な苦労をしながら、みどりはデビューを果たします。そして、彼女の名前を一躍有名にしたのが、かの有名な「タングルウッドの奇跡」でした。
 

タングルウッドの軌跡

五嶋みどりが、京都コンサートホールにやってきます!

2016年9月11日(日)14:00 京都コンサートホール(大ホール)

京都市交響楽団が、世界のMidoriを迎えて夢の共演です!!
指揮は常任指揮者の広上淳一。
 

[曲目]
モーツァルト:歌劇「後宮からの逃走」序曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」op.35
 

五嶋みどりは、常に進化しています。同時代に生き、「今」の彼女の音楽が聴けることを、こころから感謝しています。
 

 

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